
- この仕事を始めたのは
20歳の時です。
その前、高校3年の時に千葉県東方沖地震(㊟1987年12月17日発生)があって、その当時は職人が多い時に全国から20人ぐらい来てたのかな。で、まあ、ちょうど12月だったんで、もうテストも終わっていたもので、毎日手伝ったりしてましたね。あと、まあ夏休みとか休みになるとね、仕事手伝ったりはその頃からしてたんです。
そして大学に入ったんですが、大学って4年間専門のことやるわけではなくて、1、2年はほとんど普通科目ですよね。それで2年間は大学行ったんですが、これ以上大学いてもしょうがないんじゃないかなあと思って退学しました。それから3年間、外に修行に出て、そうして家に帰ってきたんです。
- 家に帰ってくるとお父さんが師匠です
師匠っていうか、まあ親だし親方だしっていうところはあるけど、自分の場合は仕事を教えてくれた人ってたくさんいて、修行先の職人さんだったりとか、うちにも何十年っていう職人もいたし、あとは、左官工事だけじゃなくて、現場で会う職人さん、別の業種の職人さん、自分や親父だけではなく先々代とかその前だったりとかから付き合いのある職人さんが多かったので、そういう職人さんから怒られたりしながら仕事を覚えていったんです。親方って言うと、修行先の親方だったり、親父だったりですけど、仕事を教えてくれたという意味での親方っていうと、周りにたくさんいたんですよね。そういう点ではすごく恵まれた環境ではありましたよね。また、仕事に行った先でも100年前におじいさんがやった仕事だとか、そういう話は聞いたりしました。小さい時はね、お小遣いをもらえるんで、よくくっついて行ってね、そんな話も聞きました。
- 小さいうちからこの仕事を継ごうと考えていた
そうですね、自分がそう考えるっていうよりも、周りが跡取りなんだという接し方をしてくれてたなあ、という気はしますね。小さいうちから現場にくっついて行ってたりしてましたし、中学、高校になると仕事を手伝ったりとかしていて、そが嫌とかもなくて、この仕事をやっていこうって決めてましたね。
- 以前、お父さんは5代目と聞きました
そうですね、だから私で6代になるんです。とはいえ、職人ってね、じゃあ何か残ってるかっていうと、150年やっていてもそんなには残っていないんです。鏝とかも消耗品ですし、元が鉄なんで、鋼ですから。使い込んで擦り減ったり、サビが出たりすると、首のところが弱くなって折れたりするんであんまり残ってはいませんね。ただ、一番古くて明治20年頃使っていた鏝も残っているので、おそらく江戸の終わり頃造られた鏝だと思われます。
- 建物だと
自分が見たのでいちばん古いのはすぐ近く(一宮町)にあるんですけど、明治20年ごろの建物かな、寿屋本家っていう今は食事を出すお店。そこは自分の曽祖父がやったって聞いてます。土蔵店ですが、そこの観音扉を黒漆喰磨きでやったのが残っていますが、いつかたどり着きたい仕上がりです。あとは塗り替えだとか、お風呂を作り替えだとかでね、親父がやったとか、祖父がやったとかっていうのは見ますけどね。
-古民家の再生で特に気をつけてることって
そうですね、理想としては当時やってあった通りに、同じ工法で直すってことが理想なんでしょうけど、それだけ時間も手間もかかるし、金額もね、それなりにしますから。全く同じに元通りにというのは難しいですね。仮に文化財であったとしても、元と同じ工法で、同じ材料を使って直すっていうことはなかなか難しいですよね。姫路城とかそういった建築物になると話は別でしょうけど、県とか市町村の文化財だと予算も工期もありますし。
- そういう文化財の仕事も多い
そうですね、紋七さんの前ですと去年は去年は大多喜町旧江沢家住宅、一昨年は習志野、浦安、もう少し前だと八日市場の土蔵店の改修がありました。まあこういう仕事もちょこちょことあります。ただ個人所有となるとなかなか土蔵とかは、直すのはこれからはどんどん厳しくなってきますよね。土蔵ってものを保存するための建物だったんですが、今は倉庫だったり、冷蔵庫だったりとかがあるので土蔵の使い道、生活と直結した使い道がなくなってきているんです。年間に10件ぐらいは問い合わせだったり、見積りだったりとかあるんですが、3年に1回ぐらいですか、ここをしっかり直してもらいたいっていうのはね。
- 仕事する上で気をつけてることは
常に心がけていることは、金額の多い少ないとか、仕事の大小とかではありません。自分たちにしてみれば壁を塗るって毎日のことですけど、お客さんにしてみれば一生に一度のことかもしれないんですよ。だから、お客さんの気持ちになって仕事しなければいけないって、心がけています。

今回の紋七さんもそうですけど、あれだけのカウンターを塗って作るっていう工事は、うちでも初めてだしなかなかないんです。そういう点ではすごくありがたかったし、気を使うっていうか、まあ、しっかりやらなきゃいけないって気を引き締めて仕事にかかりました。お店だと不特定多数の、毎日たくさんの人が見るところなんでね、へんな仕事はできません。仮に同業者が来た時に、これ誰がやったんだ。なんだこの仕上がりって言われちゃいけないし、そういう点ではしっかり仕上げなきゃいけないっていうことは思いましたね。
自分の中で100パーセント満足っていう仕上がりは、なかなかないなあって気がしますね。お客さんにしてみればこれじゃいけないのかもしれませんが。
手抜き工事ってありますね。手抜き工事する人ってね、2つのパターンがあって、仕事を知ってる人と仕事を知らない人、つまり工法を知ってるか人と知らない人です。工法を知ってる人っていうのは、頭を使って余計な手間をかけて手抜きをするんですよ。柱を1本抜いたとしても、そのために強度がなきゃいけない。崩れちゃいけないんですね。じゃあ、そのためにどうするかっていうことを、2つ余計なこと考えるんですよ。
で、知らない人っていうのは、そういうことすら考えないで、手抜きをするんです。そうすると、何が起きるかっていうと、後で何かしら不具合が起きるんです。そうすると、そこでさらに手間をくう。だから、手抜き工事って決して儲かることではないんです。儲けるために手抜き工事するんでしょうけど、だけど柱1本抜いたために2つのことを考えなきゃいけない。あるいは後で何かあった時の対処をしなければいけない。そう考えると、手抜き工事ってのはいい方法ではないんです。もちろんやっちゃいけませんが。
- 左官の仕事って一人前になるには
そうですね、現場の形って全部違いますから人それぞれですね。
自分もそうだったですけど、最初は材料練ったり運んだりがほとんどなんです。でもその中でこの材料何を練ってるんだとか、入ってるものの分量だったり、そういうことを見て覚えて、それを練って持って行って、柔らかいとか、硬いとか言われることことでだんだん覚えて行くんです。そして、必要な分を全部運んじゃえば、今度は自分が塗れるわけです。それで塗ることがだんだん出来るようになってくる。そうすると自分自身で材料がうまく練られるようになってくるんですね。自分自身が塗ることができるようになると、その材料の使い具合がどうなのかってことが分かってきますから。
- 壁以外でも
今回の紋七さんでは壁以外でも、玄関とか、手洗いのモザイクタイルもやらせていただきました。
昔からこのあたりの左官は大体タイルもやっていたんです。そのほか瓦とかもね、みんなやってたんですよ。今でもお風呂だったり、キッチン、トイレ、玄関とかタイル工事はやりますよ。ただ、例えばお風呂なんかはユニットバスになってたりして、タイル工事は減っていますね。
それと壁、塗り壁は減ってますね。なぜかというと工期の問題ですね。塗るとどうしても乾燥期間が必要なわけです。工期はその分長くなるもので。昔は、例えば稲刈りが終わると、泥壁の藁ができる、そして田んぼが空く。そうすると田んぼの土を持ってきて藁を混ぜて寝かせておく。それが次第に発酵して溶けてノリの代わりになる。さらにね、9月頃に稲刈りが終わると今度は竹が虫の出ないちょうどいい時期になる。その時期はまた山の木の葉が落ちるので、今度は山の木を切ってきて、冬の間に製材して、皮を剥いて柱を作ってと、その繰り返しでね、で、そのあと家が建ちましたとなる。そうすると今度は田植え前に建て、梅雨入り前に屋根をつくるんです。そして梅雨になると家の中身を作る。こういう自然のサイクルに合わせて家を建てていたんじゃないかと思うんです。だから完成まで1年かかったりとかしてたんじゃないかと思います。それが今は後期を短くすることが重要ですから、塗り壁も減ってきます。まあ、日数がかかるってことはお金もかかるってことですから、工期を短くっていうのは大きな条件になっていますから。
- 地産地消が言われています
今、地産地消って言われていますが、これいちばん理にかってることだと思うんですよね。そこの気候で育った木を使って加工しても、同じところの気候だったら、きっと長持ちするはずなんですよ。だから、地産地消っていうことが普通に家を長持ちさせるっていちばんの方法じゃないかと思うんです。
紋七さんでも、築300年、柱1本にしてもそれだけ長く保ってるわけじゃないですか。今回はそれだけ保ってた建物をさらに長く保存していこうっていう仕事ですよね。そこに携わらせていただいて光栄ですよね。あのお店で言うと、カウンターがメインになるお店なんでね。その部分をやらせてもらったのは、すごく緊張感もありましたし、楽しかったですよね。あれだけの規模ってなかなかないですし、自分自身も勉強になったし、すごく嬉しいことでもありました。
- 終わって気になることって
仕事が終わって合格点もらえたかどうか、いちばん気になることです。合格点もらえて当たり前なんですけどね。

お店の土間にしろ、宿泊棟のお風呂の壁にしろ、何色で、それをどんな時、どこに使うか、そういうことも考えながらサンプルを作って色々試すわけです。ただ、サンプルっていうと大きさが限られてくるじゃないですか。できても1メートル位とか。それがじゃあ、10メートルあったらどういう風に感じるのかってのは、人それぞれにもなるし、昼間使うのか、夜なのか、すごく明るい照明なのか、スポットライトなのか、それにもすごく左右されるんで、そういうところでは何回もサンプルを作りました。色は濃くしようとすると顔料が増えるので強度が落ちるし、色以外にも、浸透の強化剤とか、白化防止剤、撥水剤とか場所や用途によって選択し、分量を決めないといけません。
今回の紋七さんはそうしたバラエティーが多くて、自分なりによく頭が回ったなあと思います(笑)。そこまでは、自分も忘れがちなところですから、常日頃からお客さんの側に立って考えないといけないと思ってるんでできたんでしょうけどね。
- 日頃心がけているのは
そうですね、情報は少しでも多く仕入れていないといけないということかな。新しい材料とか、機械とか、そういったものの情報は持っていて損はないし、多ければ多いほどいいですしね。ただそれも、自分で使ってみなければわからない。だから、試し塗りだったり、サンプル作りだったりっていうのは仕事の合間を見てやりますね。
紋七さんでも、カウンターもそうですし、特別室も、お風呂も多分4、5回はサンプル作ったかなあ。同じ色を出すんでも保護剤で色が変わってきますから、それだけで2種類、そこに自分で考える基準の色があったら濃いもの、薄いものを必ず作らなければならない。サンプルはどんどん増えていきます。それと今回は特にお客さんをお迎えする時の「色」が紋七さんのコンセプトだったり、好みだったりするので合わせるのに苦労するところでした。色っていうのは本当に難しいです。好みがありますから、一概にこれがいいなんて言えませんしね。
- 紋七さんの仕上がり具合は
紋七さんは古い建物を再生して保存するんだけど、新しい材料を使ったり、和紙だったりがマッチしてるし、カウンターだったり、奥の特別室の真っ赤な床だったりとかよそではなかなかない雰囲気を出しています。
特別室は壁に和紙を貼ってあり、和風に仕上げてあるけど、床が真っ赤で、普通一般家庭ではまずないでしょう。300年という建物の年数だったりと比べていい感じのデザインになってますよね。
紋七さんでは古いものを生かして、新しいものを取り入れて、そういう点ではすごく魅力的な建物だなとは思うし、テーブルとかも和紙を張ってあったりとか、壁も和紙を使ってるし、そういう古いんだけど新しい。元々昔から日本にあるものなんだけど、今使われなくなったものだったりとか、そういったものを生かしてるっていうのはすごいです。
- 左官業界の今昔ってずいぶん違うのでは
そうですね、かなり違いますね。例えば100年前、200年前だったら使えるものって限られてたんですよ。土と藁と石灰とそういったものが漆喰だったりとか、泥壁で竹で編んで漆喰で仕上げるとか、今はそういうのが市販されるようになったりしてるんです。あと、壁土って昔は自分のうちの田んぼから掘ってきて作ってたと思うんですが、今はもうそんなことできませんし、藁だって今はもう収穫と同時に田んぼで籾をとって、藁を細かく裁断して田んぼに撒いてしまう。だから、取っておいてくれって言わないとなくなってしまうんです。うちは一般住宅で4、5軒分くらいのストックはあるんですが。藁以外にうちは石灰は九州の津久見から、漆喰のノリは海藻から取るんですが、その会社が大原にあってそこから仕入れています。また、麻蔦は大阪からなど全国から仕入れています。こうなると重要なのが流通ですよね。今は、今日頼んだものが明日には来る。それが昔だったら、駅まで運んで、汽車に乗せて、着いた駅に取りに行く、この手間が今はないんです。
- 今後の夢とかは
そうですねえ、過ぎてみると何もかもが早いんですよ。20代の頃思っていたことが今できているかっていうと、できていないのかもしれないし、じゃあ20年後はどうかっていうともう70を過ぎていて、仕事だって同じようにできるかというとできないだろうし、じゃあ、これからどうしたらいいのかって正直わからないですね。
まあ、今までと変わらずお客さんに喜んでもらえる、よくできたって言ってもらえるものをつくり続けられたらいちばんだなって思います。視野を広く、情報をいち早く仕入れて、お客さんのニーズに応えることができるようになっていることがいちばんです。
- 職人さんの数は今?
今、3人です。2人はもう30年やってるベテランで、1人はまだ3年。これからは若い子にも仕事教えなくちゃいけないし、また、職人が多くなればそれだけ仕事も多くなる。そうすると、そのための段取りもしなくちゃいけない、材料を頼んで、現場で打ち合わせをして、見積もりをしてとこういう仕事がどんどん増えてくるんです。そうなると自分が現場に行って仕事をすることができなくなってくるんです。
うちは特に左官工事は下請けに出さないんです。下請けの人にお願いした仕事だと、なかなか気に入らないなんて言えないじゃないですか。隠れてしまう部分ならいいかもしれないけど、左官の仕事は目に見えるところですから、そういう仕事で自分の目が届かないってのはすごく嫌なんです。きっと貧乏性なんでしょうね(笑)。
それとね、うちはよそから来た職人を使うのは難しいです。そういう職人はよそでついた癖があるのでタイルやって、瓦やって、左官やってというと、左官できるけど瓦ができないとかあるんです。だけど遊ばせちゃいけない、じゃあ、これはできないんだから手間を安く、これもできないんです。こう考えると本当に難しいです。
- 業界全体で職人は減っている
減っています。でもだからと言って自分の質を落とす必要はないし、これからも技術にはこだわっていきたいです。泥壁だったり、文化財だったり、同業者から頼まれることもあります。つまり、必要とされるんであればこの業界も残っていくんじゃないかと思います。自分も自分がやっている間は必要とされる存在でいたいなあとは思います。
- これからは
少しでもお客さんに喜んでもらえるものができるようにしなくちゃいけない。やっぱりね、自分自身の作ったものの質っていうのは、10年前と比べると大きく違うと思います。経験以外にも知識だったり、情報だったりとかが大きく影響しています。例えば、材料の選定であったりとか 漆喰だけでなく今は既製品で、あとは練るだけっていう材料が多いです。特に漆喰の既製品は自分で納得して使えないんです。そういうのを使った時期もあったけど、最終的には自分で見て、測って、混ぜて使います。こうするとバラつきがないんです。どこかの、誰かが作ったものってバラつきがあるんです。そうすると最終的には自分で作った方が間違いはないなと。
今の時代、汗かかない人がお金を儲けすぎるんですよ。日本って戦争で負けて焼け野原から、世界のトップレベルの技術持つようになったんですが、これは、日本人が一生懸命働いたからだと思うんですよ。大汗をかいてね。それが今はあまり汗をかかない人がお金を儲ける。違いではここがいちばん大きいかなって思いますね。自分は大汗をかいて働く方かな。
ただ、インターネットってね、すごくありがたいもんで。例えばタイの裁き方って調べればすぐ出てくるし、材料だってどういうのかなって調べればすぐ出てくるし、パンフレット取り寄せる必要もないし、パソコンでダウンロードすればすぐカタログなんか手に入りますからね。
この記事は、令和4年7月8日にインタビューしたものです。
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保川建設株式会社
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