その家は、房総半島中央部、上総の国・久留里藩に仕える御典医により明治初頭、久留里城下に建てられた。
明治40年頃、現在地に移築されたが、今でも上り間には当初の診療所の名残である小窓がある。明治末期には、陸軍大将乃木希典が鹿野山・神野寺参拝や磯遊びに当地を訪れた際にこの家に宿泊し、乃木希典からの礼状も残されている。第二次大戦中は、この地から見える浦賀水道が首都・東京防衛の要衝であることから、海軍の将校たちの宿舎としても一部使用された。
家の中に一歩足を踏み入れると、激動の時代を歩いてきた歴史の香りを胸いっぱいに吸い込むことができる。家そのもの、建具、梁や柱などそちこちに日本の文化と伝統を見ることができる。
この家が今、ひとつの時代に幕を下ろし、また新しい時代の目撃者となるべく、生まれ変わろうとしている。再生させる責任や大である。